訪問は一か月のうち1週間~10日前後。
療養から稲作へ。
■ 2月 師匠に話しを
面倒な病気になった、そんな自覚が高まってきた頃。
病気で何も食べれなく。
デパート、取り寄せを超える米があり療養を兼ね会いに。
同時に原因は化学物質、化学肥料や農薬がダメだと理解し始めた。
■ 3月 なんとなく
なんとなく無農薬、無化学肥料、無除草剤、最高の味を作ってみたくなった。
そんなもの無理だ、出来ない、誰が作るんだ、約束の日に師匠は現れず。
耕作不利地、耕作放棄地の持ち主へ話しを付け、ネットと本の情報で作る覚悟を決め、全国二位の牛肉生産者の堆肥を購入。
■ 4月 堆肥撒き、田起こし
「とりあえず撒いてみろ」一輪車、堆肥6トン、4.6反分、約100往復。
トラクターで田起こし、やってみろと。
畔がフニャフニャ、穴ぼこだらけ、てきとうに泥遊び、全長約400m。
U字溝は50年前のもの、用水路は怪しい、排水路に土嚢を10段積んで取水。
5月、代掻き、田植え
代掻きでそれらしい感じに。
師匠の苗を買い田植え。
田植えを見に毎日お手伝い、はやく終わったところでウチのも。
田植え機は経験が必要。
鴨農法独自の受け入れ準備、家、ネット張り、電柵張り、テグス張り、お迎え。
近隣で有機農法は皆無、ネットで調べ会い、本を読み、基本も本とネット。
必要な道具もネット。
「お前ら楽しそうにやりやがって、ムカつくな、頑張れよ」
鴨がアイドルに、ベンチを設置。
村人、市職員、農業委員会、新聞社。
鴨農法は常に滞在できないから。
実際は村人と僕をつなぐ架け橋、誰も乗ってないバス運転手、タクシー運転手、ケアハウスの送迎バス、なにより師匠のため。
堰から水漏れ、土嚢、粘土、治水工事。
■ 6月 次はいつくるんだ?
「次はいつくるんだ?」師匠から電話。
鴨たちは怖がりから、走って集まるように。
日照りが続き土がむき出しの箇所に雑草。
水位がある箇所は全く雑草がない、鴨農法は有効だった。
村の草刈行事に参加。
朝5時半スタート、飲み会は朝9時。
刈払機はやった感がある。
最高の堆肥を入れようと、安全なものを作らないと東京の人が買ってくれなくなると、鴨の影響は大きかった。
「孫を連れて見るのが楽しみで」
「もしこれで収穫ができたなら間違いなく村一番の美味しい米ができる、それにしてもなんでこんな立派な稲が出来たんだろうか?」
休耕田、最高の堆肥、鴨、無農薬、無除草剤、無化学肥料、稲と稲の間隔、原因は特定できない。
今回は雑草の対応だけで。
これから
「農薬や化学肥料、除草剤を使えと言うなら俺がやる価値はないから今すぐ東京に帰る」
村人とは言えず、遊びに来たお客さんでもなく。
味にかかわる部分は100年前の農法。
失敗を繰り返し、自身も強く太くしたい。