「俺は何をやっているんだ?」という、分からなくなっていた感覚がようやく戻ってきました。

僕の家庭はなかなか酷かった、父親は女の元へ、母親は鬱病で、14歳の時ふと起きると母親が包丁を持って「殺して」と泣いているという、部屋に鍵がついていないのでおちおち寝る事ができず中学をやめ家を出て働きアメリカへ渡りました。

アメリカに知り合いがいたわけでもなく節約のためにスラムのようなところへ住み夜にはパンパンという音が聞こえる環境でした。

「やんのかコラ」と、アメリカ人だろうが何だろうがムカついたらやる、その後どうなろうが関係ない「あわよくば死なないかな」という希望をもっていました。

この「Knockin’ on heaven’s door」という曲はそんな生き方にピッタリ、あれから数十年経過しましたがようやく「これが聞きたい」と感覚が戻ってきました。

同じ体験をしそれを純粋に表現してくれていたGuns and Rosesは僕にとって唯一の友達という感じでした。

温かい家族だとか、青春の汗だとか、平和な世の中だとか、群れるだとか、そういうのは眩し過ぎて馴染めない、結婚しただけでも凄い事です。

運命とは定められているもので僕がどれだけ無茶をしようとも死なない、アメリカのスラムで喧嘩しようが、ヤクザに絡まれようが、暴走族とチキンレースをしようが、治らない病気にかかろうが、定められたその日がくるまでは死ねない、そういうものだと思っています。

僕の知る限りそういう経験をした人に対して最も優しいギターを弾く人、僕の好きな人は黒人が多いですが生まれた時から「お前はクソだ」と、僕とは比べられない傷の深さ、そういうものがこのギターを作るんだと思います。

歌舞伎町でアルバイトをしていた頃、訳ありな女と一晩遊びまぎらわす、気持ちは分かるけど重いのは俺には応えられないと。

僕にとって心の師とは、土方のバイトをしていた時蒸発した人の「なんでこんなことになっちゃったんだろうな」、アメリカの薬中浮浪者の黒人が「Watch out」と、歌舞伎町でバイトしていた時「俺たちはいつ死ぬか分からねぇんだよ、死んだとき汚ねぇ格好じゃみっともねぇだろ」、西表島で出会った元懲役囚「何があってもな、お前の責任なんだよ」、商店街にいる浮浪者の歩く姿は違う人生の自分だったかもしれない、僕はそこに属する人間だという事を思い出しました。

これまでも、これからも、学ぶべき人は社会からこぼれ落ちてしまった人、そんな人の役に立たないと意味がないと。

コメントを残す