久しぶりに南禅寺、天授庵、金地院へ行きました。
街中に住んでいるのでもう知っている事ですが、京都の観光地や中心地は外国人のものになりました。
東京の従業員に聞いても「秋葉原も英語の看板ばっかりになって行かなくなりました」と、有名観光地全てそのような状態だと思います。
京都の店員さんは強いので外国人相手でも「どちらになさいますか?(なんで日本語しゃべらへんの?勉強してからきはったら?)」とガンガン日本語で攻めます。
意地の悪さも人に向けられている時は面白いなと思います。
この病気になったからなのか、時代なのか、京都に慣れたからか、一般的に言われる綺麗なものに興味がなくなりました。
紅葉より「安全第一」そういうシュールさがないと面白く感じません。
人の手で作り上げられた生活感のない美しさ、そういうものが奇妙に見えます。
寺や紅葉を見ても何とも思わないです。
手入れされていない街路樹から葉っぱが出てる、それでいいです。
表面的な京都は卒業、本当の京都は皴の入った着物を見て美しいと感じる美学だと思っています。
そこは京都に来て大きく成長したところ、全く関係のない花を二輪花瓶に投げ入れて共鳴させるレベルの高さ、美しさとは相対的なもの、醜さを持つことで美しさを引き立たせる、こういう感覚は東京にいた時は全くありませんでした。