謎の病気だった化学物質過敏症、電磁波過敏症、脂肪肝、食物アレルギー、リーキーガット症候群、2018年から約6年間自由を奪われとんでもない40代でした。
そこから過去最高の体調を手に入れて思う事、全てを取り戻してやるという気持ちが沸々と湧いてきます。
誰も教えてくれない答えを見つけたぞという満足感と体に対する知識、経験、人として自信が深まりました。
まずは感謝、家内が喜ぶ事をたくさんしてあげたい、放っておいても漫画やランチを楽しんでいた家内ですが、やっぱり一緒に楽しく何かをやりたいだろうと思います。
なかなか死なない体になったとはいえ外傷はどうしようもない、嫌な事は過去も、今も、未来も誰にでも必ずありますが、世の中は51%対49%で少しだけ良い事が多いはず、一瞬一瞬を全力で楽しまないと人生に申し訳が立たないです。
従業員に対しても4年間で出社日数たった1日、潰れる覚悟で飛び出しましたが自分も含め立場が人を作る、それで潰れる会社もあるでしょうが、結果は驚異的に数字が伸びました。
まずは皆を健康にし健康寿命を延ばすという還元、新たな未来を作る事がトップに立つものの使命なんだと思います。
目立たない事、潰れない事が目標、あっちがダメならこっちと、経営者になり「選択肢は二つ持て、弱い自分を認めろ」従業員に言い続けてきた事が身に沁みます。
このブログを書く事で頭の体操、整理もかなり進みました。
記録にもなりました。
人々の苦しい姿にはなるべく目を向けたくなかった、それ自体が大きなストレスになるからです。
僕は同じ病気の人の中でも恵まれた環境にいました。
途中から僕の役目は全てを克服し皆に無駄な時間、お金を使わせない事ではないかと、そう思い始めました。
健康とは幸せとほぼイコール、化学物質過敏症が治った瞬間のあのセピア色の光景、世界の素晴らしさ、自分は今まで何を見てきたのかと、僕の中では最高の瞬間でした。
今後の更新について色々考えました。
僕は人々は幸福とは言えなくても不幸は少ない方が良い、化学物質過敏症に限らず冷え性関連、具体的にリーキーガット症候群に関係する症状全ての人に治って欲しいと思っています。
健康であれば働ける、お金が入れば不幸はある程度回避する事が出来る、そこが本質だと思います。
どうしたら人々が真似をするだろうか、「やれ」と言う権利はない、「やって下さい」もおかしい、「やりたい」「ああなりたい」と思わせなくてはいけない、宣告される前の体調不良の自分が何を見たら何時間もかかる野菜スープ、それの倍はかかるボーンブロスを作るだろうか。
高い目標が持てれば少々の事はかすり傷にしか感じない、夢や希望をどうすれば人に持たす事が出来るのだろうか。