病気に限らない事ですが最後は強い意志が結果を左右します。

強い意志は「そこまでするか」と周りに思わせる行動を起こさせます。

毎日人より少しだけ前に進んだ分だけ、それが積み重なり10年、20年と、目指そうとも思わせない差になります。

強い意志を持つには強い負の体験が必要になります。

負の体験とは自信のあるもので大負けする、打ち砕かれる、例えばこの病気では、みんなと同じ普通の体である事を疑った事もなかったのに自分だけ病気になってしまった、もはや一般社会には帰れないのか、といったような体験です。

克服してみればたいしたことではないのですが、周りから見れば「えっ、断食した事があるんですか?白米食べないでどうやって生きてるんですか?」と、鉄の意志を持った人に見える、本人は「そういえばそう見えるよね」と、力んでいるわけではなく普通のレベルが普通ではなくなる、それが強い意志です。

ただ、冷静さ、客観性のない意志の強さは結果が出ません。

例えば「これをやっておけばいいとお医者さんに言われたから」と闇雲にやり続けたりする事です。

まず分析すべき事はお医者さんにも専門分野があり、耳鼻科に行けばその領域内で出ている症状に対して対処するだけであり、横断的に「鼻が詰まっているのは体が浮腫んでいるからだ、その原因は腸にある」という診断が出来る人はまずいない、という事を考えないといけません。

加えてなぜこの病気が障害年金の対象になっているのか、それは治験を行い高い確率で治せる治療方法が存在しないからです。

さらに縄文人、弥生人という現代人と違う体を持っている、一般的ではない体だからこうなっている、何か特別な事をしてこの病気になったわけではない、医師は一般的ではない体について勉強はしていない、つまり医者の言う事をひたすらやればよいというわけにはいかなくなる、という結論が出ます。

そういった場合まず探すべきものは偶然でも治った人を探す事、どうやって治したのかの情報収集です。

女子中学生のお母さんはこの思考で治った人を探し出し真似をし結果を出した、正しい思考と惜しまぬ努力、加えて痛かった自分の関節痛も治った、結果が出て当然です。

人から見れば野菜スープ作りという大変な事をやらないといけなくなった悲劇のお母さんなわけですが、本人から見れば「いやいやいや、むしろあなたもやった方がいいよ、私の方が元気だし」と、普通のレベルが上がってしまった鉄の意志を持つ人になっている、もし我が子が病気でなかったら「あそこのウチは何か大変そうね」と言う側にいた、足を引きずって歩いていた可能性があります。

場合によっては正しい分析が一般的に言われているものと違う事もある、継続すべき努力の方向が違う事もあります。

分析結果が正しいだけの評論家では結果は出ない、間違った事を一生懸命やっても結果は出ない、チャレンジしない人にはチャンスさえない、時間だけは平等に進んでいく中でいかに素早く正しい分析をし努力を重ねるか、数十年というスパンでは言い訳は出来ないです。

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