旅行に来ようと思えばいつでも戻れる、そんな気持ちもありつつ最後にやっていたことは想い出巡りでした。
来た当初はコロナMAXで京都にも人が全くいない、外国人どころか国内旅行でさえ憚られる風潮でホテルや飲食業は瀕死の状態だったと思います。
主要な寺巡りも全然余裕、車のナンバーが東京なので露骨に嫌がる人もいましたが秋田でも同じ「おいおい、住人なんだけど」と思いつつ必要以上に怖がっている人が多かったです。
都合の良いことに人がいないので柔軟剤を恐れる必要がなかった、静かに寺巡りを出来た事は今思えば奇跡に近いと思います。
治ってからは飲食店や特に洋服関係のお店に行くことが多くなり、それにつれて知り合いが数十人単位で増えました。
仲良くなった人の8割は県外からの移住者で、その人たちへの挨拶回りは一週間くらいかかりました。
あまり話さないけどよく行ったお店にも全部行きました。
「随分急ですね」と毎回言われましたがタイムイズマネー的なところはアメリカの影響を強く受けていると思います。
明らかに熊本を見下してるなとは感じましたがそれは僕だけが知っていればよい事、思い残すことはありません。
熊本にも永遠に住むために行くわけではなく引っ越したいと思ったらまた動く、それは外部からの影響も強く、地震も、ウイルスも、体調も、仕事も、趣味もそう、色々な事を僕の意志だけで決めたとはあまり思っていません。
僕の仕事は梱包、発送が主の仕事なので出荷作業を行っているようで懐かしく感じました。
掃除は、ベランダやら網戸やら普段やらないところ、どんどん空気が澄んでいきます。
そういえばマイクロカプセルが重積したベランダの掃除を平然とできるようになっていました。
今日が京都で最後の日、明日は荷物を積んだら10時間ドライブ、その前に空になった部屋の床全てを磨くのが楽しみです。